リスクと向き合う:コロナ禍に際して

2020年のGWはStay Homeということで。読書とyoutubeにまみれた生活を送っています。

暇なので昔読んだ本をぱらぱらと見返していたら、ふと気になる本が。

 

リスクトレードオフとは 

リスクと向きあう 福島原発事故以後

リスクと向きあう 福島原発事故以後

  • 作者:中西 準子
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 単行本
 

この本の著者は環境リスク学の専門で、公害などの環境問題に対してリスクを定量的に評価することで政策決定に役立てるような研究をされているそうです。

 

この本での一番の学びは、「リスクトレードオフ」 という言葉。これは何かというと、

  • 温暖化対策に原発を推進すると、安全面のリスクが高まる
  • 農薬を減らすと生態系への影響が少なくなるが、面積あたりの収穫量が減り、森林伐採に繋がることで生態系への影響が出る
  • 水道水の塩素消毒を徹底すると、発がん性物質が生成される度合いが高まる

といったように、あるリスクを減らすことで、別のリスクが高まる状態を指します。

この本では放射能汚染リスクとの向き合い方について、著者の専門知見をもとに述べられています。

 

リスクを天秤にかける

あるリスクを減らせば、別のリスクが増える。誰しも日常生活では、二つとか三つのリスクを比べながら一定のリスクを受け入れつつ生活しています。しかし、放射線の話にになると、リスクはゼロであるべきという議論を耳にします。…リスクの大きさを明らかにし、これ以上のリスクはダメだけど、これ以下なら当面受け入れる、そのリスクはこうですという議論をすべきなのです。…人はつねに死のリスクにさらされていることを忘れてはならないのです。これが寿命というものです。

外を歩いていたら車にはねられるかもしれない、といったリスクを、誰しも普段受け入れながら生活しているわけですが、環境問題となると「リスクはゼロであるべき」という論調が出てくるようで。

 

「ゼロリスク症候群」と揶揄する向きもあるようですが、個人的には分からなくもない。交通事故のリスクに比べて、放射能発がん性物質により数十年後にがんになりやすくなる確率は明らかにイメージしにくい。分からないものへの不安はしばしば合理的な判断を妨げるし、それは人間誰でも持っている性質だと思います。

 

リスクを下げようとする行為が逆にリスクテイクに繋がるということは、放射線リスクに関して言えば「健康リスク」と「移住リスク」に代表されます。もちろんがんを患うことでも寿命は短くなりますが、失業や望まない転居でも統計的には寿命は短くなっています。自分が何と何を比べているかをよく認識すべきなんだろうなと思います。

 

星新一とリスク相対論

昔読んだ星新一の「夢と対策」というショートショートが、リスクに関する教訓を感じさせるものでったことを思い出しました。

(ネタバレになりますが、)飛行機が墜落する予知夢を見た主人公が飛行機での出張を命じられ、墜落を恐れ出張を断り自宅へ帰った結果自宅に飛行機が墜落するというものです。

どのような行動をとったとしてもゼロリスクを実現することは不可能である、ということを示唆しているのでしょうか。 

エヌ氏の遊園地 (新潮文庫)

エヌ氏の遊園地 (新潮文庫)

  • 作者:新一, 星
  • 発売日: 1985/07/29
  • メディア: 文庫
 

 

とはいえ、死は個人的なもの

がんによるリスクを評価するとき、…社会的なものとして受け入れるという話であって、個人として受け入れられるかという話とはまた別ですよね。一人ひとりの死と、死のリスクを確率で語り、それをもとに社会政策を考えることは違います。

死のリスクが確率論としてウン万分の一と言われても、それが自分や近しい人に降りかかってくることがあればやはり耐えられないのであろうと思います。memento moriの教えのように、人は必ず死ぬという事実を忘れてはいけませんが、その中でどのようなリスクを受け入れて生きていくのかはやはり個々人の選択であるべきし、そのような決定がしやすい世の中になるのが 理想だと思います。

 

そして、コロナ

昨今の新型コロナにまつわる情勢について、SNS等の議論を見ている限りでは「自粛徹底vs経済配慮」という対立が生まれているように見えます。これはまさに「ゼロリスクvsリスクトレードオフ(リスクベネフィット)」という対立と理解しています。

 

昨今の自粛にまつわる風潮はいささか行き過ぎとも思えます。相互監視や強権的とも思える営業停止要請などなど。。

じゃあお前は経済第一で平常通りに戻れと言うのかというとそうではないのですが、昨今の対立は、新しい感染症のリスクが、複雑化した社会の中でどの程度の重さなのかがはっきり示されていけば改善していくものではないかと思います。

 

夜の街に繰り出すのと感染症対策をしっかり行った上でハイキングに行くのでは全然違う話なのに、何もかも自粛となるのは不思議な話で。もちろん受容できるリスクの程度は人それぞれなので、それも嫌という人はいても構わないですが。

クラスター対策など拡散防止の措置が行われている前提で、自身がかかるリスクについては自分で判断しある程度受け入れていくのは構わないのではないか、と感じています。(同居家族という避けられない密の問題は自分のなかで整理がついていませんが)

 

こういった問題は半年~一年後になれば色々見えてくるものも違ってくるのだと思います。渦中の今は分からないことだらけ。ピークを過ぎた後も自身の中に教訓として残るよう、しっかり振り返っていきたいと思っています。